第2回


ある不注意で再入国ビザを持たないで、留学生の出迎えにフィンランドに行った為にロシアに再入国が出来なくなり、もう1度スチューデントビザを取るためにフィンランドに送還されたことがありました。たった一人で、まだ17歳でした、言葉も通じず、500ドルしかもっていないまま泣きながら歩いた雪の日のヘルシンキ、幸運にも親切な人に声をかけられて、数日後なんとか無事にビザを取得してバレエ学校に戻れたあの日の事、今でも昨日のように思い出されます。
 バレエに行き詰まりを感じ体調をくずし、モスクワから日本へ帰ってきたこともありました。歩くこともつらくて、バレエが出来なかった2ヶ月間で、私は本当にバレエが好きなんだという事を改めて感じることができ、また頑張ろう!と再びボリショイバレエ学校に戻りました。2ヶ月間の遅れを取り戻すために必死で毎日をすごし、ロシア語も勉強して一般科目も全教科受けました。卒業レポートでプーシキンについて十数枚ロシア語で書いたり、本当に充実した毎日でした。何も無かったロシア・・・、テレビ、コンピューター、電話、暖房、今では当たり前のことが無かった国・・・。当時の私にとっての楽しみは劇場に通うことでした。10円、20円という安いお金で、ボリショイバレエ団、ダンチェンコ(モスクワ音楽劇場バレエ)といった素晴らしいバレエ団の公演が毎日よりどりみどりで見ることが出来る・・・・。これ以上の環境はありませんでした。
  厳しい授業の後の私の楽しみは劇場にバレエを見に行くこと、同じ作品を10回以上見ても毎回新しい発見があったのです。本当に幸せな毎日でした。物質的には豊かでなかったけれど、心は豊かで幸せに満たされていました。バレエ学校の卒業試験の後、モスクワの7つのバレエ団からスカウトがあり、私の大好きだったモスクワ音楽劇場バレエへの入団が決まったときは本当に夢かと思いました。あこがれのバレリーナ、チェルノブロフキナたちとレッスンし、舞台に立てるなんて夢にも思っていませんでした。